左官職
伊勢市 浦口

新進気鋭の左官職。左官の道に自分を賭けて精力的な活動を続ける。
壁の魅力を探訪しつつ古い仕事の中に未来を見つめる目をも養う。
自らの仕事の傍ら、若い人たちへの左官の技術を伝える。
左官の道へ
自分の親が左官業を営んでおりましたんで、小さな頃からそういう道具もあれば、自宅の方でものを作るという作業も手伝っておりました。小学校の頃からタイルを並べたりとか、自分で考えてタイルを張ってみたりとかしてたんで、これは面白いな、これはこういう風にやったらええとか、自分で考えながらしてたんで、中学校を卒業した頃には自分の好きな道に入ろうと、この道に入りました。中学校を卒業してから一年間はうちの仕事をしてたんですけど、やはり親がいうには、他人の飯を食うのも大事やと。近所だったんですが別の左官の家に修行に出ました。
人を見る修行
今を振り返って思うのには、技術的なことではなしに、人間として「人の心を見てこい」という感じで教わりました。始めに弟子入りしてよく言われたのが、人を良く見とれと。人の行動なり、考えなりを随時見て、それから習ってけと、教えてもらいました。
仕事には各自職人さんの色というのがあるんで、それをじっと後ろから見て覚えろ、ということでしょうね。弟子として五年、三年したときに仮年期明けをしてもらって五年目の時に年期を明けてもらいました。職人として認めてもらったんですね。全部で七年いたんですが、後年がお礼奉公、教えてもらったお礼ですね。 技術的な面はほかの職人と一緒ぐらいには出来るんですが、おまえは弟子だから、という理由で他の職人さんと食事を一緒にするときでも、職人さんのことを何もかもしておいてから一番最後に自分だけご飯を食べるとか、休憩は最後に、それで職人より早く仕事に戻れ、ということでした。大体三年ぐらいの内に職人さんと一緒に座らせてもらって食事をしたのは二回ぐらいでしたね。職人さんの洗濯とか、洗いもんもやらせて貰いました。当時は苦痛でしたが、今となってみると良かったですね。
いま考えればそれが精神修行になったんでしょうね。
左官の魅力
左官の魅力というのは、自分の好きな形が作れる、というこでしょうね。それと限りない発想が成し得られる職種かなと、思うんです。形が無いものを自分の感覚ひとつでどんな形んも変えられる。それでまた、固めて作って行く工程の段階で自分の思いを作り込める、ということですね。自分の自己満足の世界かも知れないですけど、他には絶対真似できないぞ、というか自分の頭で考えていることを自分の手と一緒に表現出来るのが面白味かな。
日常の周りに色々なものを見ると、たとえそれが金属であろうと、その表情を出すにはどうしたらええかと、全く違う観点から自分を覘き込むというか、そんなことを考えていますね。考えるとき、私の場合は最初に答えを出すんです。それから式を考える。逆にそれの方が自由な発想が出来るようですね。いろいろな角度から見れるんです。
新旧を追い求める
建物の中で、私は壁を装飾と捉えているんで、左官の仕事で建物を、活かすも殺すも出来るんではないかと考えています。壁は見渡したときに特に目立つ仕事になるんで、そのぶん自分も責任を感じて仕事をしています。
今の時代は技術的にも発達していますが、新しいものを追い続けて行くと最終的には原点に戻るんじゃないかと。昔やったことがやっぱり一番正しいのではないかと思うときがあるんです。何十年の文化と、何百年の文化とでは、最終的には何百年の歴史を覆すことは出来ない、ということを特に感じています。
単に素晴らしいというより、今作ったものがそれだけの年月持たせられるかな、というのが問題なんですよね。それだけの間に朽ちることのないあり方があるんじゃないかな、と考えています。目に見えずにやっている努力とか、考えられない何かがあるんじゃないかと。
いつも頭の中であるのは、新旧を追い求める、ということです。古い仕事も見ておかないと、新しい仕事をするときの糧にはならんと。これは、ずっとこれからも考えて行きたいと思います。自分をもう一度原点に戻して勉強できる、思い出すことが出来ると思うんです。
私も年を取っていくんで、細く長く、色んな人たちに仕事を見てもらう、そんな意味で今は若い子たちと一緒に仕事を頑張っています。良かったなと思うことを実感してもらって、それぞれが自分で頷ける仕事に導いて行くのも自分の仕事かなと、最近思うんです。

